まるで寂しい夕日のように
またしてもなりへいさんのPC・龍巳クリフくんをお借りしております。
自PC久方菜乃花と、龍巳クリフが初めて会ってから少しした頃のお話。
「世界線越しのラブソング1」から少し後のイメージです。
──いつも遠いところを見つめている男の子。
久方菜乃花の、龍巳クリフに対する印象は、概ねそういうものだった。
菜乃花が彼を見かけるとき、クリフはたいてい、机に頬杖をついて窓の外を眺めている。
寂しい夕暮れのように赤い髪と、整った顔立ち。たった二つ年上なだけだとは思えないほど、大人びた仕草と視線。
そんな彼がいつも、どこを見ているのか。ずっと気になっていた。
* * *
「クーリーフーくーん!」
目いっぱい声を張り上げて、久方菜乃花は小走りに部屋を横切っていく。
場所はUGNのとある支部。チルドレンや若いエージェントたちが集まる、ロビーのような場所だ。時間はちょうどお昼時で、みんな各々昼食を持ち出して済ませている。
菜乃花自身も、手にはおひさま色のランチバッグに入れたお弁当を持っていた。
「……………」
クリフ、と名前を呼ばれた青年は、ちら、と菜乃花のほうを一瞥する。しかし何か答えることはなく、視線を逸らしてまた窓の外を眺めていた。
明らかな拒絶の仕草。しかし菜乃花は全く気にする様子もなく、変わらない笑顔で近づいて行った。そしてそのままクリフの目の前の席に腰を下ろし、ランチバッグを開く。
「クリフくん、お昼からの訓練、一緒だったよ!」
「そうか」
「また教官は椿さんだって! よかったねえ」
「教官が誰だって、やることは変わらないだろ」
「そう? 椿さん優しいし、綺麗だし、わたし、嬉しいよ?」
「……そうか」
おひさま色のランチバッグの中からは、亜麻色をした可愛らしいお弁当箱。中身は宝石のように彩り豊かなおかずが詰まっている。
お母さんにお願いして、作ってもらった特製のお弁当だ。お友達と夕方まで遊ぶから、と話すと、快く作ってくれた。
「あのね、今日はお母さんにお弁当作ってもらったんだ。見て! 小さいけどグラタンが入ってるの、いいでしょう」
「そりゃ、よかったな」
「クリフくんは? お昼ご飯なあに? お弁当? 中身は?」
自慢するようにお弁当を傾けて見せる菜乃花を、クリフは再度一瞥した。クリフの言葉を待っている菜乃花に対し、しかし答えは返らない。
代わりにわずかに目を細めると、ガタン、と、大きめの音を立て、クリフは椅子から立ち上がる。
「……昼は買いに行くから」
低く、どこか威嚇するようにも思える声色だった。それが自分の頭上から降ってくる、というのは結構迫力がある。
菜乃花は同年代の中でもかなり背が低い方で、たとえ立っていたってクリフから見下ろされる側だ。座っている今の状況だと、クリフはまさに山のように大きく見える。
菜乃花がその迫力に黙ったのを確認してから、クリフはくるりと踵を返した。
そのまま、ゆっくりと遠ざかっていくクリフの背中を、菜乃花はじっと見つめている。そして、一瞬ぐっ、と息を吸い込むと、また満面の笑みを浮かべて声を張り上げた。
「じゃあ、待ってるね! いってらっしゃい!」
そうすると、ほんの一瞬だけ、クリフの歩調が止まり。彼が肩越しに、菜乃花を振り返る。
その表情は明らかに不機嫌そうで、酷く面倒くさそうで。
でも、振り返ってくれたことが嬉しくて、菜乃花はやっぱり笑って彼を見送った。
「……んー……」
それから、菜乃花はいそいそとせっかく開けたお弁当箱を片付けて、ガタリ、と自分も椅子を引いて立ち上がる。
* * *
ランチバッグを揺らしながら、菜乃花は急ぎ足で支部の廊下を歩いていく。大勢の靴音をかいくぐり、人込みに埋もれないように前へ進む。
人込みの中でも、彼を見つけるのは簡単だ。頭一つ分背が高くて、どこにいても見つけられる。逆に彼は、菜乃花を見つけるのにも一苦労だろう。
「クーリフくん!」
「うわ」
菜乃花が背中側から声をかけたら、思ったよりもかわいい悲鳴が上がって、思わず表情を崩してしまった。
こちらを向いた彼の表情は、菜乃花と裏腹にやはり不機嫌だ。
背が高くて、目は切れ長。睨まれると少し怖い……が、あまり菜乃花には気にならない。怖い、よりも、クリフには印象深いイメージがある。
「なんだよ、またお前か」
「えへへ、遅いから迎えに来ちゃった。……この支部の購買って、こんなところにあったんだね。いつもお弁当だから気づかなかったよ」
先ほどまでいた部屋からそう遠くない、食堂エリアだ。小さなフードコートのような様相で、ちょっとした定食を注文したり、そのまま食べていけたりする。イートインスペースが無い、持ち帰り専用の購買ももちろん存在している。
クリフの手には総菜パンが握られていて、おそらくそこで購入したのだろう。
「待ってろなんて言ってないし、一緒に食べるとも言ってないだろ」
冷ややかな目をして、クリフが菜乃花を見下ろす。菜乃花は目を丸くして、その瞳を見つめ返した。
「えっ、せっかく買ったのに、それ、食べないの?」
「いや、食べるけど……そうじゃなくて、」
何かクリフが決定的な拒絶の言葉を言うその前に、菜乃花は先手を打って、パンを持っていないほうのクリフの手を取った。
「だよね! じゃあ食べよう!」
そしてそのまま、ぐいぐいと、開いている席へと引っ張っていく。
「……ああ、もう」
後ろの方で、諦めたような、疲れたような声がした。ちら、と視線だけ振り返ると、クリフが困った顔でため息を吐いている。
根競べはとりあえず、菜乃花の勝ちだ。
そのまま二人で向かい合って座れる席を確保し、仕切りなおして昼食が始まる。再び亜麻色のお弁当箱を開いて、菜乃花は上機嫌だ。
「クリフくん、カツサンド好きなんだ。わたし、食べたことないなあ」
「適当言うな。そんなわけないだろ」
「嘘じゃないよぉ。病院のご飯には出なかったもん、カツサンド」
菜乃花の言葉が何か響いたのだろうか。クリフはちょっとだけ目を見張って、それからばつの悪そうな顔で視線を逸らす。
「………………」
そして、手に持っていたカツサンドを紙パックの上に置くと、また唸るように低い声で言った。
「なんでそんな、構うんだよ、俺に。好きで一人でいるんだ、気を遣ってるだけなら、放っておいてくれていい」
菜乃花も、食べる手を止めた。
拒絶の言葉──よりも先に、「どうして」が来てよかった。ふと、そんなことを想う。
少なくとも、クリフは菜乃花を認識して、会話をしてくれようとしている。
ああ、やっぱりこの人は優しいなあ、と菜乃花は思う。
「だって……クリフくんは」
菜乃花は言いかけて、そして、クリフの目を見つめた。
──いつもどこか、遠くを見ている目。ここには無いもの、あるいは、もう失くなってしまったものを追っている目。
クリフがどこを見ているか、何を探しているのか。まだ、菜乃花にはわからない。
「(いつも、寂しそうだから)」
大人びた、鋭い目をして、遠いところを見ている。周りの人を遠ざけて、じっと何かに耐えるように。
UGNの赤壁、と言えば、鉄壁の代名詞だと誰かに聞いた。どんな攻撃も受け付けない、倒れない。どんな黄昏も遮る、強靭な盾。
龍巳クリフは強い、だから大丈夫だ。みんながそう言う。
……けれど、菜乃花には彼が、酷く寂しそうに見えるのだ。
「(クリフくんが強いのは知ってる。……でもクリフくん、同じくらい、優しい人だから)」
お弁当を食べかけのまま止まっている、自分の手を思わず見下ろす。
菜乃花とクリフ、二人が初めて出会ったあの日。初対面の菜乃花に、「お前が悪いわけじゃない」と言って、人込みで手を引いてくれた。
そんな人が、優しい人でないわけがない。そしてそんなに優しい人が、あんな寂しい表情をして、平気なわけがない。
でも、と。菜乃花は少し自分の手に力を入れて、そうっとクリフの顔を見上げた。
あなたが寂しそうだから、と。そのまま伝えたら、クリフはきっとますます一人になろうとする気がした。
それが心配で、そうなったらと思うと、拒絶されるよりもそちらの方が怖くて、菜乃花は言えなかった。
寂しそうだ、悲しそうだ、痛そうだ。と。
クリフのその壁に刻まれた傷を慮うことを、弱さを指摘されたのだと勘違いさせてしまいそうで。
ねえ、どうしてそんな寂しそうな顔をしてるの? 何を探しているの? どうしたら──
「(どうしたら、笑ってくれる?)」
菜乃花は出かかった言葉を、ぐっ、と、喉の奥で言葉を一度、飲み込んだ。
「……クリフくんは、私の先輩だから!」
そして、満面の笑みを浮かべ、そう告げる。クリフはまさかそんな言葉が返ってくると思わなかったのだろう。怪訝そうな顔で、菜乃花のほうを見ていた。
「だって、UGNから最初に迎えに来てくれたのがクリフくんだったし。年も同じくらいで、よく訓練も一緒になるし。わたし、今一番クリフくんが頼りなんだ」
えへへ、と照れたように笑う。
実際、その通りだ。初めて出会ったあの日から、UGNの中でも、「同年代の男の子」の中でも、クリフは菜乃花の指針なのだから。
クリフにそのつもりがなかったとしても、あの日、クリフは菜乃花を助けてくれた。
慮って、菜乃花の気持ちを汲んでくれたのだ。
「クリフくんがいないと、わたしがだめなの」
だから、私は離れていかないよ。クリフくんが迷惑だって思っても。顔も見たくないって思ってても。
わたしに、今はクリフくんの寂しさが、全然わからなかったとしても。
菜乃花が笑顔のままクリフの言葉を待っていると、クリフはやがて、言葉の代わりにため息を返してきた。
「……お前、支部ですぐ迷子になるしな」
「うっ」
「学校の宿題、支部に持ってきてやるって言ってたのに、やらないどころか置き忘れて帰るし」
「ううっ……」
「俺が届けに行かされたんだぞ」
「あうう、ご、ごめんってば、でもすごく助かったの! ありがとうー!!!」
……助けるどころか、自分がクリフにかけた迷惑の数々を突き付けられた。菜乃花は顔を真っ赤にして、両手をぶんぶんと振る。
かすかに、笑い声がした気がした。
「怒ってるのか感謝してるのか、どっちかにしろ」
見ると、クリフがほんの少し。ほんの少しだけ、笑みを浮かべていた。苦笑と言って相違ないものだったが、ほんの少しだけ口元を緩め、目を細めて笑っていた。
「(笑った)」
こんな顔で笑うんだ、と菜乃花は思う。そう思った瞬間、意識せずに自分の表情も笑顔になった。
「……何へらへら笑ってるんだ?」
「えへへ……えーと、初めからこういう顔?」
「嘘つけ」
クリフはぴしゃりとそういうと、また椅子から立ち上がって踵を返した。気が付くと、彼の手元にあったはずのカツサンドは消えていて、すっかり食事を終えていた。
「あっ、あっ、ま、待って、私も……」
「せっかくグラタン入ってるんだろ。ゆっくり食べて来い。どうせ昼から一緒に訓練だ」
慌ててお弁当箱を片付けかけた菜乃花を、クリフが止める。ただ、声色は先ほどよりひどく優しいものに思えた。少なくとも、拒絶の感触はない。
「……うん! あとでね、クリフくん! すぐ行くから!」
そのことが嬉しくて、思わず心が躍った。距離が縮まった、なんてたいそうなものじゃない。でも、ここにいてもいいと言われた気がした。
菜乃花が声を張り上げてそういうと、クリフは振り返らなかったが、ひら、と掌を一回振ってくれる。
椅子に座りなおしながら、菜乃花はその背中を見送った。
──遠いなあ、と菜乃花はふと思う。
いつも、どこか遠いところを見つめている男の子。同じ世界にいるはずなのに、遠いところにいて、さらに遠いところを、寂しい目をして見つめている。
ずっと見つめていたくなる、放っておけない、寂しい夕日のような男の子。
「(いつか、もっと笑ってくれるといいな)」
お母さんのお弁当を食べたら、昼からは一緒に訓練だ。そのことを想うと、思わず菜乃花は笑顔を浮かべるのだった。