DX3rd,  テキスト

マスターエンシェントの憂鬱

Twitterで公開していた諏訪真澄の小話。
少年の正体はルルブ1の「不確定の切り札」です。



























「戻ってたのか」
 そう声を掛けられ、ゆっくりと瞼を開ける。
 まどろんでいた意識を浮上させると、ぼんやりとした視界に人の顔が飛び込んできた。
「ええ、つい先ほど」
 浅野良太。FH日本支部で【遺産】を管理・収集するセルを束ねるセルリーダーだ。そして自分の上司でもある。
 自分はどうして彼を見上げているんだっけ。そう考えて、任務が終わってすぐソファに寝転んだのを思い出した。
「今回はどうしたんだ。お前が【遺産】集めでなくテロ活動に行くなんて珍しい」
「ええ、少しね。まあ、私の出番はなかったのでただの見物になっちゃいましたけど」
 そう言うと、真澄は人差し指で良太の眉間を小突いた。
「ふふ、皴できてますよ?」
 からかうと、皴がさらに深くなる。【竜眼】はなにやらご機嫌斜めのようだった。
「なにかあったのか」
 返ってきたのは疑問の言葉だった。せっかく茶化したというのに、この男は本当に察しが良くて嫌になる。
「なんにもありませんよ」
 肩をすくめる振りをしたが、寝ころんだままではうまくいかなかった。
「お目当ての覚醒者のうち一人はハズレで、アタリのほうもUGNに持っていかれてさんざんでした。ま、私の責任じゃないですし、別にどうでもいいことですが」
 FHはオーヴァードを増やすために積極的なテロ活動を行っている組織だ。特にそれを専門とするセルでは、日夜担当区域の人間のレネゲイド適性を調べて事故や事件に見せかけたテロを起こしている。
 アタリというのはレネゲイド適性がある人間を意味し、ハズレはその逆だ。
 テロの犠牲者がレネゲイド適性を持っていれば【生き帰ってくる】。生き返るものが増えれば、それだけオーヴァードの数は増える。
 生き帰ってこなかった者たちに関しては、それまでだ。振るい落されたものには慈悲も救済もない。
 【オーヴァード優位の社会を目指す】FHという組織の最もポピュラーで最も残酷な活動。口当たりのいい言葉で覆われた大量虐殺。
「……高校生の女の子でした」
「…………」
 良太に突き付けた指を下ろして、真澄は無表情でつぶやいた。
「バス事故に巻き込まれて、私たちの目論見が外れて、レネゲイド適性もなく、死にかけていました。でも」
 彼女の目は、良太のそれをじっと見つめているようでどこか虚ろだった。紡がれる言葉もほとんどひとりごとに近かった。
「バスに同乗していた同じ年くらいの男の子が覚醒して……あれは、キュマイラでしょうか。とにかく、変身して、彼女を救いだしたんです」
 それは努めて無感情であろうとする声音だった。胸を占める悲しい思い出を、せき止めてこれ以上溢れないようにするときのような。
「とてもカッコよかったですよ、彼。まさにヒーローって感じでした」
 そこで初めて声に感情が戻ってきた。とても嬉しそうな、ほっとしたような、それでいて、今にも泣きそうな声にも聞こえた。
「そうか」
 良太は短い言葉で応える。それ以上の言葉を付け足すことを、真澄はきっと望んでいないと思ったからか。
「そして女の子はUGNに記憶処理を施され、無事日常へもどりましたとさ。めでたしめでたし」
 良太が上体を起こすタイミングで自分も起き上がり、ソファにきちんと座りなおす。
「……たまには休暇を取ってもいいぞ」
 わかりやすい慰めの言葉はなかった。だが、言葉でない場所にぬくもりを感じる不思議な返事だ。
 浅野良太がとても不器用な人間であることを、真澄はこのセルで過ごした時間を通して理解している。
 嫌に察しが良く、人の心にぴったりと寄り添える才能を持ち合わせながらも、それを言葉にするのだけは苦手な人。それが【竜眼】浅野良太だ。
「ええ、じゃあ、久しぶりにのんびりしようかな。おいしいものとか食べちゃいます」
 ふふ、と楽しそうに笑って見せると、良太もぎこちなく笑顔を返した。それで、この話は終わりだ。
 過去は変えられない。レネゲイドという異能に肩まで浸かりながら、まだオーヴァードが至れない場所はいくらでもあった。時間を超越することもそのひとつだ。
 誰もが理不尽に耐え、後悔し、嘆き、他者をうらやみ、おのが欲望を満たすために今日も生きている。
 世界は不平等だ。救われるものと救われないものがいるのは仕方のないことだ。
 ――――それでも。
(羨ましい、なんて)
 それでも、真澄はドロドロとしたその感情に向き合う。そっと触れた瞬間、顔をしかめるほどの醜悪な感情たち。
 瞼を閉じると、ごうごうと逆巻く炎が見えた気がした。温度すら再現されたように錯覚するほど、脳裏に焼き付いて離れない業火。
 そこには少女が……高校生だったころの自分が呆然とした表情で取り残されている。
 几帳面にまとめられた三つ編みがなびき、炎に巻かれて焦げ付き、清潔だった制服は黒焦げだった。
 自分が見つめているのは炎の向こう側だ。覚醒し、化け物のような姿に変じて、理性を危険なウィルスに食いちぎられ、それでも同級生の少女を救うために手を伸ばした少年。
 さっき真澄が目の当たりにした、救世のヒーロー。そして少年に見事救い出される制服姿の少女。
 彼らは振り返らない。振り返らず、焔の向こうで無様に座り込んだ真澄を置いていく。
 どうして、と、夢の世界の自分は叫ぶ。どうして私だけが、と、耳を塞ぎたくなるような呪詛を吐く。
「……醜いですよ、諏訪真澄」
 嫉妬なんて、羨望なんて、お門違いにもほどがある。そう小さく自問自答し、真澄は沈んだ意識を無理やり引き上げた。
 目の前にはまだ心配そうにこちらを見る良太がいた。まるで娘を心配する父親のようなまなざしだ。
「なんて顔してるんです?」
 真澄は笑う。いつものようにいたずらっぽく、相手を煙に巻いてからかう【マスターエンシェント】になる。
 ヒーローは真澄を振り返らない。絶望し、絶叫する過去の自分を今さら救うことなどできない。
 それでも、あの魂ごと炎にあぶられる様な痛みももうないのだ。そう、ないはずだ。
 これは、古傷が何かの拍子に疼いたようなもの。オーヴァードであれば誰にでもある苦々しい思い出にすぎない。
 そう言い聞かせながら、真澄は不敵に笑い続けた。

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