アイのうた
ステルスメモリーFragment01「唯一無二」のとても短い後日談。
当然のようにネタバレが含まれますので、上記セッションを通過した方の閲覧を推奨します。
ご了承された方のみ、続きからお読みください。
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──愛というのは、なんだろう。
「……主に家族同士や、親しい間柄のものが慈しみ合う気持ち。生あるものを可愛がる気持ち。あるいは性愛の対象として、特定の人物を愛しく思う心、情、恋。幸福を願う気持ちなど、と言われているな」
ふと零した言葉を拾った目の前の男は、興味深そうな表情を隠そうともせず、すらすらとそう答えた。
男性にしては長い髪を一つにまとめ、肩に流している。レンズの薄い伊達眼鏡の向こうの瞳に、理知的な光を宿す男。セルの人間からは【先生】と呼ばれ慕われるこの男は、自分の独り言がいたく気になるらしかった。
國常市で起こったひと騒動から早数日。唯はあれだけのことがあったにもかかわらず、「おかえり」と快くセルのメンバーたちに迎えられた。
無差別じみた攻撃を國常支部のメンバーと自分に浴びせておきながら! と、しばらく唯は怒り心頭だったのは言うまでもない。しかし、唯一人が怒り狂ったところで、反省して身を縮めるようなセルメンバーでもない。
「あの場にいたのは全員オーヴァードだ。もし当たったところで死ぬような威力ではないし、そう神経質になるな。國常の支部長も引っ張り出せたし、収穫のほうが多いだろう? むしろ褒めてくれてもいいぞ、唯」
【先生】に至っては、そう言って胸を張りさえしたのだ。唯はさすがに一発殴っておいた。大人しく殴られていたので、【先生】としても一応、唯に対する申し訳なさはあったのかもしれない。
そんな唯の怒りもようやく収まってきたころ。國常のあの子に会いたい気持ちを抑えつつ、隠れ家の一つでくすぶっていたら、どういう流れかこんな話になった。
愛と言うのは、なんだろう。
「ふむ。特定の宗教においては、「神」が人類を慈しみ、幸福を与えることそのものも含まれるそうだ」
「それなら、僕はあの子とその家族を『愛している』と言えるかもね」
唯の「家族」の範囲は、あの子の先祖も含めた広い範囲を指している。愛していた、そして愛している。今も変わらずだ。
神の「愛」。天上の存在から与えられる庇護と幸福。
それを愛とするならば、自分と世界の言う愛の認知はズレていない。自分の「愛」は正しいはずだ。
……だが、それならばどうして、あの子は自分の庇護を望まなかったのだろう。
「唯、君の愛──いや、この場合は『庇護』と言い換えたほうが認識にズレがないので、そう言い替えようか。君の『庇護』はかの全知全能の神に比べて限定的だ。君は君の『庇護』が及ぶ範囲を限定し、その範囲内に収まった人間だけにそれを与える。違うかな?」
「それはそうだよ。さすがの僕だって、自分が全知全能だなんて思っていない」
名前を呼ばれ、唯は少し不機嫌そうに目を逸らす。
特に儀式的な意味があるわけでもないが、やはりこの男に名前を呼ばれるのはちょっと癪だ。以前は、自分の真名を呼ぶのは、あの子とあの子の家族、血脈の人々だけだったのだから。
あんな事件さえなければ。自分は今も、あの子と、あの子の家族たちと、名を呼び呼ばれ、穏やかな日々を過ごしていたはずだったのだ。
「その時点で、君の『庇護』──愛には、「君が範囲内に所有した特定の人物を想う」と言う要素がある。つまり、君の『愛』には『所有欲』『独占欲』が結びついているわけだ。自分の手の届く範囲に、君の庇護対象を置いておきたいと言う欲だ」
【先生】は興味深そうな表情のまま、眼鏡をわざとらしく直しつつ、続ける。
「まして、君のそれは対象者の家族を自動的に範囲内に入れてしまう構造をしている。これまではたまたま問題が起きていなかっただけだ。そのうち、自動的に籠に入れられた小鳥が、外を目指したいと言い出しても、何も不思議はない。小鳥には意志があり、それはたとえ、記憶が喪われても喪われないのだから。むしろ、記憶を喪ったことで、いままでしがらみによって抑えられてきた意志が、表に出てきやすくなった可能性もある」
ずばり、と心を切り裂くような【先生】の指摘。思わず言葉を詰まらせてしまい、心の中で舌打ちした。
今まで、「家族」「庇護」の名のもとに縛られていたあの子が、意志をもって自分に意見をしてきた。確かにそう言われれば、そんな形に落ち着いた形にも見える。
だが。
「それの──それの、何がいけないわけ? カミサマらしくない、とでも?」
お前の『愛』は、神としてのそれに至らない。欠けている、と言いたいのか。おまえのそれは、愛ではない、とでも──
「まさか」
【先生】はしかし、唯の言葉にあっさりと首を横にふった。
「神らしい『愛』に、何の意味がある? 自分以外にも平等に向けられる、欲望なき(無償の)愛ほど残酷なものもない。そう思わないか?」
言って、【先生】は意味ありげに目を細めた。唯はその表情に狂気じみたものを感じ、少し身を引いた。
「特定の誰かを愛する──その機能が備わっているのなら。神だろうと、人のように、『誰か』を愛していいはずだ」
だから、と。【先生】はそこで言葉を一旦切る。その口元が、ゆっくりと弧を描いて笑みの形になる。
「唯、君には感謝しているんだ。君は私に、神にも、誰かを特別に想える機能があるのだと証明してくれたのだから。なので、君の愛が『神らしからぬ』ことなど、気にする必要はない」
【先生】は洗練された所作で指を組み、品のある仕草で小首を傾げた。
「それを堕落というなら、いくらでも堕落すればいい」
まるで、神を地に誘う悪魔のように。