この気持ちの名前は
アイネクライネ後、二人の初めてのクリスマスのお話です。
規則的な電子音で、目が覚める。まだ眠気はずいぶん引きずっているが、それでも頑張って目を開けて、いまだに鳴り続ける電子音の元──目覚ましのアラーム音をオフにした。
ほんの一分ほど、そのまま伸びをしたり、あくびを噛み殺したりしながら、ベットから出てカーテンを開ける。
……カーテンの向こうは、薄暗い冬の朝が広がっていた。
コンコン、と軽いノックの音が背中側でして、はぁい、と返事をする。
「おはよう、菜乃花。起きてる?」
「おはよう、お母さん。起きてるよー」
「あら偉い。最近ちゃんと一人で起きるわね。さすが次期大学生。大人、大人」
母である杏が、微笑ましそうににこりと笑う。菜乃花は照れくさそうに笑って首を傾げた。朝ごはんできてるからね、と付け加えて、杏は踵を返した。
朝はどこの家庭も慌ただしい。菜乃花ももう一度だけ伸びをしてから、支度に取り掛かろうとした。
「(その前に)」
菜乃花は枕元に置いたスマートフォンを手にして、画面を細い指で操作する。表示されたメッセージアプリには、「龍巳クリフ」と表示されていた。
『おはよう、クリフくん』
それだけ打って送信し、スマートフォンを置く。自然と笑みが浮かんだ。
昨日の夜も、その前の日も、クリフとはメッセージのやりとりをしている。
以前もそれなりの頻度ではやりとりしていたが、ほとんど菜乃花からの一方的なものだった。それがお付き合いをする前後くらいから、少しずつクリフからも送られてくるようになり、それがまた嬉しくて、やはり菜乃花の方の頻度も上がり……を繰り返していった。
だから、ここのところクリフの名前は常にメッセージ画面の一番上に表示されている。そんな些細なことでさえも、菜乃花はちょっと嬉しくなれるのだった。
パジャマから制服に着替えて身だしなみを整えつつカレンダーに目を向ける。
そういえば、来月はクリスマスだ。少女漫画の主人公たちだって、クリスマスには好きな人と過ごしたり、心が躍るようなイベントを経験していた気がする。そのことを思い出して、少し期待に胸が高鳴った。
「(でも、そんな場合じゃないよね……)」
しかしクリスマス直前ということは、菜乃花はセンター試験も目の前だ。クリフにしても社会人一年目、決して時間が有り余っているわけではないだろう。
まず、クリフを困らせたり、無理をさせたりはしたくない。それに、クリフに「勉強は大丈夫なのか」と言われたとして「大丈夫!」と力強く返せる自分の姿が想像できなかった。そういう意味でクリフに心配もかけたくない。
菜乃花は今日も、クリフに会いたい気持ちを頑張って押し込めておくことにする。
小さくため息をついて鏡の前でリップクリームを手にしたところあたりで、スマートフォンがメッセージの着信を伝えた。
『おはよう、菜乃花』
そっと画面に触れると、クリフからそう返事が返ってきていた。やはり、心が弾んでしまう。
気を取り直して鏡を見ると、鏡の中の女の子は自分でも恥ずかしくなるくらい、浮かれた顔をしていた。
* * *
「━━菜乃花は、なんか大丈夫そうだよね」
「……えっ?」
思わず菜乃花は古文の課題から顔を上げ、正面に座ったクラスメイトの顔を見る。
賢そうな一重の目元に眼鏡をかけた彼女は、癖のない黒髪をさらりと後ろに流して、今日も凛としている。
「全然大丈夫じゃないよ? 志望校の判定、まだBだし」
「いやそっちじゃなくて。たしかにそれは大丈夫じゃないんだけど」
目をまんまるにして友人を見つめ返す菜乃花。その隣に座る別のクラスメイトが、仕方ないなあと笑った。
そう言って笑う彼女は大人っぽく柔らかそうなセミロングの癖っ毛で、菜乃花と同じく少し髪の色素が薄い。
「今は受験の話じゃなくて、彼氏の話」
かれし、と菜乃花は言われた言葉を口の中で繰り返す。その瞬間、クリフの顔が浮かぶのはまだ少し照れ臭い気がした。
今日の授業はすでに終わり、放課後のことだ。
進学コースの生徒で塾に通っていない生徒は、こうやって放課後に許可を得て勉強に励んでいる。
菜乃花も両親から、塾に通うか、家庭教師を頼むかと言われたが、UGNの仕事や訓練がいつ入るかわからない、という事情もあり、全て断った。
大学進学を目指しているような子はたいてい、この時期塾に通うので、ここで勉強しているのは菜乃花を含め、数人だけだ。
そんなわけで、菜乃花たち仲の良い三人は固まって、来月──冬休み直前に迫った実力テストに向けた課題をこなしていた。
すでに放課後から一時間半ほど勉強を続けたあとだ。菜乃花も含めて、少し集中が切れてきた頃合いである。
「いやあ、最近ね、あちこちで『誰々と誰々が別れた』とかって聞くもんだから。まあ、この土壇場まで来ると、さすがに恋とか彼氏のことよりは現実とか将来のこと見なきゃなぁ、ってのはわかるんだけど。その点、菜乃花は全然大丈夫そうだなあ、と思って」
「そうね。今日もお昼休み、スマホの画面見てにこにこしてたし。彼氏さんからのメッセージでも見てるのかなって思ってたわ」
「み、みーちゃん……! 見てたの?」
黒髪のクラスメイト、みーちゃんに微笑みながらそう言われて、菜乃花は思わず顔が熱くなった。
昼休みも、ちょっとした合間にクリフにメッセージを送り、それが返って来るとつい笑顔になってしまう。それを見られていたとは思わなかったが。
「いやあ、見てたもなにも、今年はずっと菜乃花は幸せオーラ全開だもん。わかっちゃうよ。順調そうで何より。でも最近はあんまり彼氏さんと会ってないんでしょ? 寂しかったりしない?」
「えっと……寂しいのは、寂しいけど……」
言われて、菜乃花はふと考えた。確かに、受験も佳境で、以前よりクリフと会う機会は減った。菜乃花自身も多忙になったし、クリフからも「勉強は大丈夫か」と気にかけられるので、頑張らなくてはと思うところもある。
会いたい、と言う気持ちを、押し込めている自覚はある。だから菜乃花はきっと寂しいのだろう。
菜乃花はふと窓の外の景色を見る。季節はすっかり冬で、来月はクリスマス。二人が言う通り受験の本番はすぐそこだ。
「(クリフくんに恋をして……お付き合いしてから……もうじき一年)」
そんなふうに思って、無意識に胸がとくんと高鳴った。
好き、と言う気持ちは一年もこんなに鮮烈に続くものなのか、と思う。
ふとした拍子にクリフに会いたいと思ってしまうし、正直、寂しい。受験がなければもっとたくさん会って話す時間があっただろうにと思うこともある。
それが寂しさになり、すれ違いを生むこともあるかもしれない。
「……でも、この寂しいの、わたしはそんなに嫌じゃないよ」
菜乃花は考えた後、ごく自然にそう答えていた。二人のクラスメイトは意外な答えだったのだろう、顔を見合わせて不思議そうな顔をした。
「ええ? 寂しいの、嫌じゃない? もっと連絡しろー! とか思ったことないの?」
「もちろん、お話できたり、メッセージが来たりすると嬉しいなあって思うし、会いたいなあって思うよ」
嫌な寂しさではない、心がそわそわして、くすぐったいような落ち着かなさが、ずっと胸にある。
会いたいなあ、今、あなたは何をしてるのかな。
あなたはわたしのことを考えてくれているだろうか。わたしは今あなたのことを考えているのだけど、というような。
この気持ちを言葉にすると「寂しい」とそんなに短い言葉になる。
「でもね、きっと会っても、またすぐ寂しくなるんだ」
きっと、この寂しさは会っても変わらない。なんとなく、菜乃花にはそれもわかっていた。
クリフに会ってもきっとまたすぐに寂しくなり、会いたくなるのだ。
「きっと、クリフくんのことを好きでいる間はずっとわたし、寂しいんだなあって、そう思うの」
……恋をしたら、ずっと幸福なんじゃないかと思っていた。
好きな人がいて、その人も自分のことを好きでいてくれる。特別になりたい人が、わたしを特別にしてくれる。
それだけで幸せで、そんな日々に生きていられたら、その事実だけでその幸福を信じられると。
でも、人間は……菜乃花は、菜乃花が思っていたよりずっと弱くて、欲張りだったらしい。
メッセージを貰えばもう一度と願う。今日会えば明日も会いたくなる。会っていないときも、わたしのことを想ってくれれば良いと望んでしまう。
「だからずっとわたし、この寂しいのとは付き合っていかなくちゃいけないんだと思う。……でもそれって受験と同じで、将来のことだと思うんだ。だから、どっちも頑張ろうって思って」
勉強は苦手だし、本当は大変だ。クリフに会いたいし、ものすごく寂しい。
けれど、その寂しいは、決して嫌なものではなくて、むしろこの気持ちは━━
「…………」
と、そこまで考えた時、ふと、菜乃花は二人の友人がぽかん、として菜乃花を見つめていることに気づいた。
「ど、どうしたの、二人とも?」
「……なんか、菜乃花が大人になってる、と思ってちょっとしみじみしてたの」
「え!? お、大人!?」
そんなこと言われたことないよ! と菜乃花は慌てて首を横に振った。
「あー、そっかそっか、勉強頑張らなきゃなー。ずっと付き合ってくんだもんねー、勉強も彼氏くんも将来のことだもんね」
「あ、あさちゃん!」
そう言われて初めて、自分が真面目に恥ずかしいことを口走っていた気がして来て、顔が熱くなった。
嘘や悪いことを言ったわけではないのでいいのだが、友達にクリフとのことを言われるのはやはり少し気恥ずかしい。
「はいはい、勉強しますよ、久方さん」
「冬休み前の実力テスト、A判定取れるといいね。菜乃花、最近頑張ってるからきっと大丈夫だよ」
菜乃花を宥めるように、みーちゃんが優しく微笑んでくれた。菜乃花は少し不安げに小首をかしげる。
「うん。頑張る」
「頑張りましょう。冬休みに入ったら、クリスマスもお正月もあるし……結果が良ければ、少しくらい息抜きしてもいいんじゃない?」
「いいねー。私もそれ目指して頑張ろうかなあ。それで冬休み終わったら、たっぷり菜乃花の話、聞かせてもらお」
またからかうようにあさちゃんが言って、菜乃花は照れたように笑った。
じゃあ、共同戦線ねと三人はもう一度笑い合い、再びそれぞれの問題集に向き合うのだった。
* * *
仕事からの帰り道。クリフはふと、冬の寒空を見上げていた。
冬の夜は空気が澄んでいて、星がよく見える。吐く息も白く、肌寒い。さすが師走も半ばというところだ。
月の名前が示すとおり、この時期はどこも忙しない。クリフの勤め先も例外ではなく、本日も少し帰りが遅くなった。
不意に、コートのポケットに入れたスマートフォンが振動を伝える。
画面を確認すると、通知欄に「久方菜乃花」と表示されており、「ただいま!」とメッセージが届いていた。
思わず、クリフの口元に笑みが浮かぶ。そのままメッセージのアプリを開き、返信することにした。
『おかえり。今日も遅くまでお疲れ』
クリフもだが、菜乃花も受験勉強が佳境らしく、遅くなる日が多い。UGNでの任務や訓練もあるので塾には通わず、放課後は学校に残って勉強しているのだという。
いつものことながら、メッセージの返信はすぐに返って来た。
『ありがとう! クリフくんも、お仕事終わった?』
『ああ。もうすぐ家だ』
『お疲れ様! あのね、わたし、明日は終業式で、明後日から冬休みだよ』
メッセージを見て、ちらりと日付を確認する。そう言えば、そろそろそんな時期だ。
クリフ自身も去年は高校生だったのに、卒業して一年も経てばわからなくなるものだな、と思う。
『ね、これ見て!』
そんなメッセージのあと、すぐに写真が送られて来た。
何かの通知表のようで、拡大すると、そこには大きく「A」の文字が並んでいる。隣には、菜乃花が志望校にすると言っていた大学の名前が記載されていた。
その意味がわかって、クリフの目が驚きに見開かれる。
『A判定! 冬休み前の実力テストで、初めて取れたんだ! 頑張ったよ!』
今きっと、菜乃花はこれ以上ないほどに晴れやかな笑みを浮かべている。そんなことが文字からでも充分伝わるほどの喜びようだ。
『凄いな。頑張ってたもんな』
こんな言葉で報いられるかはわからないが、クリフも精一杯の労いを言葉にして送る。
しかし、そのあと少し間が開いた。返信も頻度も多い菜乃花にしては珍しいな、とクリフは首を傾げた。
少し拍を遅らせて、ぽん、とメッセージ着信の音が鳴る。
『あの、クリフくん。クリスマスイブって、空いてる? ちょっとだけでも、会いたい』
その文章が目に飛び込んできた瞬間、さすがに心臓がどくんと跳ねた。
毎日ではないが、それでもたびたび危険な現場に身を置くオーヴァードだ。常に冷静に、落ち着いてことに当たろうと常に意識はしている。
……が、さすがに、想いを寄せる恋人からストレートに「会いたい」と言われれば、落ち着いてはいられない。
ここ数か月はクリフだって我慢をしている。受験という大きな人生の岐路に、菜乃花の邪魔をするわけにはいかない。会うことはもちろん、通話も遠慮していたのだ。
だからこそ、返事は決まっている。
『空いてる。いい結果も残したんだし、一日くらい息抜きしてもいいだろ。どこか、行きたいところとか、したいこととかはあるか?』
……それでも、文面は努めて冷静に。クリフはそう返した。
するとまた少し、考えるような間が空いてから、菜乃花の返信が返ってくる。
『どうしよう、会いたいことしか考えてなかった……! クリフくんといっぱい、ゆっくり会ってお話できたらいいなって思ってた』
送られてきた文面に、思わずもう一度、笑みが零れそうになった。なんとも菜乃花らしいというか、可愛らしいことを言う。
『ああ。俺も久しぶりにゆっくり話がしたい』
そんなことを送ったころ、気が付けば自宅が目の前に来ていた。
……今年のクリスマスイブは休日だ。これから暖かい部屋に入って菜乃花の予定を立てるのかと思うと、再び心が躍るのを感じた。
* * *
クリスマスイブ当日の朝は、示し合わせたように晴れやかな晴天だった。冬の冷たく澄んだ空気を大きく吸い込み、菜乃花は上機嫌に、待ち合わせ場所に向かう。
……楽しみにしすぎて、天気、変えちゃったりしてないよね……なんて考えているのは内緒である。
受験勉強と並行して、UGNでは【現実改変】の訓練も行っている。制御は随分上手くなった……はずだ。
クリフとの待ち合わせ場所は、二人が住む街で一番大きなショッピングモールである。
付き合う前も、付き合った痕も、クリフと二人で何回か遊びに来たこともあり、変に緊張もしない馴染みの場所だ。
クリフからの提案で、ここで買い物や食事をしたあと、近くの通りで催されているイルミネーションを見に行くことになっている。
「(楽しみだなあ)」
自然と緩んでしまう頬を感じながら、菜乃花は待ち合わせ場所であるショッピングモールのロビー、目印に指定された大きなクリスマスツリーの下まで軽い足取りで歩いていた。
約束の時間からは随分早く到着する予定だったが、見えてきたそのツリーの下には、すでにクリフの姿が見えた。
「クリフくん! お待たせ!」
その姿を認めたとたん、勝手に菜乃花の口はその名前を呼び、大きく手を振っていた。
特徴的な赤い髪、精悍な顔立ち。会いたくてたまらなかったその人の姿に、世界が一段、明るさを増したような錯覚を覚える。
軽かった足取りがさらに小走りになり、菜乃花はクリフのところへ駆けだした。そのまま彼に飛びついて、ぎゅっと抱きしめ、その存在を確かめる。
「……菜乃花」
クリフは少し驚いたように、自分に飛びついてきた菜乃花を支えて言葉を詰まらせたように思えた。だが、相変わらず菜乃花が飛びついたくらいではびくともしない。変わらない頼もしさだ。
「クリフくん?」
そのまま二の句を継がないクリフを、菜乃花が不思議そうに見上げる。そのままぴたりと視線を合わせると、やがてクリフは小さく笑んだ。
「なんでもない。ずいぶん早かったな」
「だって、クリフくんに凄く会いたかったから。クリフくんだって、凄く早くに来てくれてたんだね」
「……そりゃ、久しぶりだから」
クリフの表情、クリフの声。全てが久しぶりで、全てがたまらなく嬉しい。菜乃花は喜びを隠せずにそのままクリフの腕にしがみついて、満面の笑顔だ。
対するクリフは少し照れ臭そうに視線を逸らしたが、それでも菜乃花と同じく嬉しさの滲む声と表情をしている。
ああ、クリフくんだ。本物だ。メッセージじゃなくて、通話の声だけじゃなくて、画面越しでもない。
「会いたかった」
そんなことを考えていたから、思わず言葉に出た。
言葉にしてから、ああそうか、わたし凄く寂しかったんだ──と菜乃花自身も自覚する。
クリフは菜乃花の言葉に少し驚いたように目を見開いた。それから少し間をおいて、小さく頷く。
「ああ。俺もだ」
そう言ってくれたことが、想像以上に嬉しかった。
「……そっか、クリフくんもそうなんだ」
菜乃花と同じく、クリフも寂しく思ってくれていた。菜乃花に……会いたいと、思ってくれていた。
そう思えただけで、胸が苦しくなるほど嬉しい。
「一緒だね」
どきどきと脈打ち始めた心臓を感じながら、菜乃花も微笑んだ。
それからは、二人連れだってクリスマスカラーに彩られたショッピングモールを楽しんだ。
いつもより賑やかで、浮足立つ人々の群れ。いつも二人で入っていた店もクリスマスソングが流れ、クリスマス限定の食事がメニューに並ぶ。
食事のあと、イルミネーションまでの時間は、ウィンドゥショッピングもかねてお店を見て回った。
こちらもクリスマス一色で、店員までサンタの帽子をかぶっている。
「クリフくん、見てこれ! 可愛い~」
立ち寄った雑貨屋で、菜乃花が手にしたのはトナカイの形をした小さなストラップだった。それぞれカラフルなマフラーを巻いていて、クリスマスカラーはもちろん、ピンクや白と言った色もある。
「買うか? クリスマスプレゼント、また『思いつかない』って言ってただろ」
「うっ……だって、今日会ってお話したいってことしか、考えてなくて……でも、これなら毎日つけて行けるもんね。買おうかなあ」
菜乃花は名残惜しそうに手の中にトナカイのストラップを乗せる。赤いマフラーを巻いているそれは可愛らしく、色は赤なので、クリフを思い出させた。
「(これ、学校のカバンにつけて行けたらいいなあ)」
そんなことを考えていると、菜乃花の掌から、ひょい、とクリフがそのストラップを取り上げる。
「じゃあ、買ってくる」
「えっ! い、いいよ! わたし、今月はお小遣いまだあるし!」
「クリスマスプレゼント、思いつかないんだろ? せっかくほしいものがあったんだから、これくらいはさせてくれ」
そこまで言われると、さすがに固辞するのも気が引ける。それに何より、クリフからのプレゼント、という要素が追加されたら、ますます毎日つけたくなるだろう。
これからまた、簡単には会えない日々に戻るのだ。少しでも、クリフとの思い出を含んだものを持ち歩いていたい。
「……じゃあ、わたしもクリフくんに、同じの買ってもいい?」
ただ、もし出来るなら、クリフにも同じように、菜乃花を想い出せるものを持っていてほしい。
菜乃花はそう言って、同じコーナーから色違いのトナカイを手に取った。白を帯びた茶色のマフラー、菜乃花の髪と同じ色をしたそれをつけている。
「お揃いにするの、夢だったから。……だめかな」
さすがにベタというか、あからさまに「恋人」という感じがして、恥ずかしいだろうか。欲張りすぎているだろうか。
そんなことを考えてドキドキと胸を高鳴らせながら、恐る恐る、菜乃花はクリフの顔を見上げる。
「お揃いか……わかった。じゃあ、二人で交換だな」
しかしクリフは少し照れ臭そうではあったが、そう言って承諾してくれた。
「……うん!」
菜乃花はぱっと表情を輝かせ、大きく頷いて笑顔を浮かべる。
そうして、イルミネーションを見に向かう頃、二人の鞄には同じストラップが揺れていた。
そして、そろそろ日も傾きかけてきた頃。
ぽつぽつと、ショッピングモールの傍にある通りから、色鮮やかなイルミネーションが光を帯び始めていた。
「わあ、すごい!」
菜乃花は通りの真ん中で、天井を見上げつつ、心からの感嘆の声をあげている。二人の手は、ごく自然に繋がれていた。
「結構本格的だな」
クリフもまた、思った以上の規模に感心している。
通りにあるアーケードをなぞるように、様々な電飾が絡みつき、それぞれの光を放つ。光の管はサンタクロースやトナカイ、柊、クリスマスローズなど、クリスマスにちなんだ形を成していた。
「綺麗……! ありがとうクリフくん! 二人で来れてよかったぁ」
隣に立つクリフを見上げ、菜乃花は文字通り、その目を輝かせる。イルミネーションに反射する満面の笑みが、眩しい。
二人、つないだ手を確かめるように、握りなおす。
「ああ。よかった。菜乃花が頑張ったからだな」
すると、クリフからもそっと握り返してくれた。嬉しくて、菜乃花の胸はさらに高鳴った。
「……うん。頑張ったよ。頑張ったら、クリフくんとこうやって会えるかなって、思ったから」
菜乃花は不意にクリフの手を離すと、前に駆け出して、イルミネーションを背にクリフを振り返る。
会えて嬉しい。久しぶりにゆっくり話して、食事もして、プレゼントも贈り合って。これ以上ないほどの、クリスマスだ。
「今日はありがとう、クリフくん。久しぶりに会えて、本当に、本当に嬉しい」
……けれど、それももうすぐ終わってしまう。まだ終わっていないのに、もうすでに寂しい。やはり、この「寂しい」はずっとついて回るのだ。
「わたしね、クリフくんに会えなくて、最近ずーっと寂しかった。すごーく、会いたかった。……でもね」
菜乃花はそこで言葉を切って、自分の掌を見下ろす。
先ほどまでクリフと繋がっていた手。まだほんのりと温かい。
「寂しいなあ、会いたいなあって思うたび、クリフくんのこと、大好きだなあって感じられたの。だから、寂しかったし、会いたかったけど……嫌じゃなかった。そのおかげで、頑張れたんだよ」
すごいなあ、と菜乃花は思う。離れていたって、クリフは菜乃花を助けてくれる。
「知らなかった。『寂しい』も『会いたい』も……『好き』なんだね」
クリフの温もりが残る掌を、抱きしめるように菜乃花は反対側の手で包み込む。
今日が終わっても、次会うときまで、この温もりを忘れないようにしよう。これを支えに、また頑張ろう。
きっとすごく寂しいし、物凄く会いたくなる。
それでも、それは全部きっと、菜乃花がクリフのことを好きだという証だ。
「……ね、クリフくん。聞いてもいい?」
菜乃花は少し間を空けて、そう呟く。
「なんだ?」
クリフは柔らかく微笑んで、優しくそう返してくれた。菜乃花はそっとクリフに近づき、細い指先で、再びクリフの手に触れる。
「クリフくんは、どうだった? わたしに会えない間……寂しかった?」
──クリフくんは、わたしのこと、好きでいてくれた?
そんな言葉を言い換えた、そんな質問を投げかける。
クリフは菜乃花の言葉に少しだけ間をおいて、菜乃花の目をしばらくじっと見つめた。
「……当たり前だ。寂しかった。だから今日、会えてよかった」
そしてひどく優しい顔で頷き、再び、菜乃花の手を温めるように握ってくれる。
──当たり前だ、と、クリフはそう言ってくれた。
会えない間もずっと、好きだった、と。
「嬉しい。……ありがとう、クリフくん。わたし、もうちょっとだけ、頑張れそう」
菜乃花はたまらなくなって、そのままクリフの胸に飛び込む。そのまま背中側に手をまわして、ぎゅっと抱きついた。
……普段は、こんな往来でこんなことをすれば「近い」と言われることもあったが、不思議と今日のクリフは何も言わない。
「……応援してる。それに、菜乃花はもう充分頑張ってるだろ。大丈夫だ」
それどころか、クリフは菜乃花の背中に自分の手を回し、抱きしめ返してくれた。
「……っ……うん、ありがとう、クリフくん」
──クリフがそう言うなら、きっとそうだと信じられる。菜乃花は抱きしめられた胸の中で、小さく頷いた。
押し当てた自分の心臓が、うるさいくらいに鳴っている。クリフからの愛情表現は、一年経っても新鮮で、どうしようもなくドキドキしてしまうのだった。
いつもなら抱きしめてもすぐに離れるのに、今日はずっと、名残惜しいというように抱きしめてくれている。
……今日と言う日は、みんなお互いと、イルミネーションに夢中だから、人の目があまり気にならないのかもしれない。
だとしたら、菜乃花は何度でもクリスマスと言う日に感謝したくなった。
菜乃花だって離れたくない。いくら抱きしめても名残惜しい。さらにもう一度、ぎゅっとクリフの身体を抱きしめる。
「お別れ、したくないな……クリフくんと、もっと一緒にいたい」
イルミネーションが見られたのは嬉しいが、つまりはもうすぐ一日が終わってしまうということだ。一分一秒でも惜しい。
心の底から思ったことを口にした菜乃花だが、頭上でクリフの、何かに耐えるような悩ましいため息が漏れた。
「……クリフくん?」
「いや、なんでもない。菜乃花は気にしなくていい、こっちの事情だ。……菜乃花の受験がちゃんと終わったら、そのときに」
クリフの胸から顔を上げ、そのまま上目遣いにクリフの目を見た菜乃花に、クリフはなぜだか、気まずそうに視線を逸らす。
菜乃花もそこまで言われると追求できず、「そう?」と小首を傾げるに留めた。
「来年も、また二人で過ごそうな。……今年より、もう少し長く」
「うん! 来年は、もっともっと一緒にいたいし、もっとたくさんお話したいね」
眩く、そして優しく輝くイルミネーションの中。無邪気にそう答えた菜乃花に、クリフはなぜだか眩しいものを見るような表情をして見せたのだった。