DX3rd,  テキスト

Over the Desire

諏訪真澄と浅野良太の過去話。
真澄がDロイス【秘密兵器】だと判明したときの話。
真澄18歳、良太22歳くらい。











「諏訪真澄です。よろしくお願いします」
 神経質そうな少女。それが、浅野良太が彼女に抱いた第一印象だった。
 まっすぐな髪は几帳面に三つ編みに結われ、所作は行き届いた教育を受けてきたことを物語る。
 なぜおまえはこんなところにいる。
 日常の象徴のような彼女を前に、良太はただ、苦虫をかみつぶしたような顔で立ち尽くすことしかできなかった。

 ***

「諏訪、ちょっといいか」
「はい」
 彼女がセルにやってきて数週間が経ったころ、良太は意を決して彼女を呼び止めた。いっぽう真澄はと言うと、眉一つ動かさずにそれに応じる。
 顔を合わせたときは不安そうな表情もしていたが、今や真澄はすっかり仏頂面の少女となってしまっていた。良太は決して器用な性格ではないし、そんな男と二人きりでセルに放り込まれればこうなるのもやむをえないと諦めるしかなかった。
「少し前へ出過ぎだ。お前は後方支援担当だろう」
「支援といっても射撃中心の後衛ですから多少の危険はやむを得ません」
 案の定、すぐに反論が飛んできた。見事な反射神経だ。
「それにしても度が過ぎてるから言っているんだ。明らかにお前は不必要な場面で前に出過ぎてる」
 真澄はこのセルに配属されてからあからさまに無謀な行動に出ては生傷を作り続けていた。オーヴァードは強靭ではあるが決して不死身ではない。それは彼女自身もよくわかっているはずなのにだ。
「リーダーは変な人ですね。FHなのにそんなこと言うの、珍しいって言われませんか」
 望んだような答えは帰ってこなかった。代わりに投げつけられた『感想』に、良太は思わず長いため息をつく。
「ここはUGNじゃない。皆が組織の規律と理念に従っているわけじゃないんだ。テロ組織に所属していても、俺はテロリストじゃない」
「ウチは遺産回収セルですもんね」
「話を逸らすな」
 自然と語気が強まって沈黙を呼び込んだ。真澄は少し俯いてなにを言おうか思案しているようだったが、やがて疲れたように答えを寄越す。
「逸らしてません。私もじぶんの『欲望』に従ってるだけです」
 そこで話を終えるつもりだったのだろうか。少女は長い三つ編みを翻して、そのまま立ち去ろうとした。その背中に、再び問いを投げかける。
「死ぬのがお前の望みか」
 少女は律儀に振り返った。
 答えはない。奇妙な沈黙が場に落ちた。その気まずさを振り払うように、良太は彼女の華奢な手を掴んだ。
「言っておくが、FHでお前みたいな新参の弱者が死に方を選ばせてもらえると思うなよ。自殺志願者の自己満足に俺と俺のセルを巻き込むな」
 感情がそのまま言葉になって吐き出されてしまう。後悔はしなかったが、もっと他の言い方を模索する必要はあったかもしれないと、思わず考えた。
 ここがUGNであったなら、もう少し寄り添うような言い方もできたのだろうか。
 だが、そんな仮定に意味はない。ここはテロ組織で、彼女も自分も、もうそこを居場所と決めたあとだ。たとえそれが、やむを得ない上の決断だったとしても。
 真澄は何かを言おうとしたが、続く答えが見つからないようだった。その瞳は真っ直ぐこちらを見つめ返していたが、どこか虚ろだ。
「なら、私は」 
 その隙だらけな表情に、良太もまた言葉に詰まった。互いに気まずい表情のまま、二人は膠着状態に陥る。
「―――――――!」
 と、そのときけたたましい警告音が鳴り響いた。それが襲撃を意味するものだと即座に理解する。
「ちっ、客か」
 なんて間の悪い。心の中で悪態をつきつつも、身体はすぐにこの事態を汲んで行動を切り替えた。
 良太のセル、【ファヴニール】は、レネゲイドに感染した無機物……通称【遺産】を一手に集めるセルだ。いわば宝の山、財宝の在処。それを狙って襲撃する輩や、『元の持ち主』による奪還のための強襲などが後をたたない。
「行きます」
「ああ、話は後だ」
 ふたりは気まずい空気のまま、床を蹴った。

 ***

 作戦はいつも同じだった。
 良太が矢面に立ち、真澄が狙撃する。【ファヴニール】は良太と真澄の二人だけで構成された少数派セルであるため、これ以外の選択肢がないというのが実態である。作戦会議を開く必要もない。
「おまえが【竜眼】か」
 コードネームで呼ばれ、良太は眉間の皺を深くした。
 襲撃犯は数名。いつものこととはいえ、多人数を相手にするのは骨が折れる。
「その通りだが、生憎俺のほうはおまえらを知らん。痛い目を見たくなければ帰れ」
 警告しつつ、自然な動作でサングラスを外す。普段は暴発を恐れ隠している魔眼だが、今はそんな必要もない。
「!」
 目が合う。そのひと睨みだけでいいのだ。それで、この魔眼はたやすく人を地獄に落とせる力を持っていた。
「な、なんだ、何も起きないじゃ――――」
 ビッ、と。
 空を裂いて何か小さなものが良太の手から放たれる。それがなんなのか確認するより早く、襲撃者の一人の頬に小さな切り傷ができた。かちゃん、と背後で音を立てて転がるそれは、パチンコ玉くらいのサイズの鉛玉だった。
「てめぇ、なにを、―――ッ!」
 突然の反抗に怒りの声を上げたその男は、しかし、唐突に言葉の続きに詰まった。自らの体に起きた異変に気づいたのだ。
「悪く思うな」
 良太が平坦な声でそういうや否や、空気が圧縮されたような違和感が広がる。そして、その瞬き一回分にも満たないほんの僅かのあと、男は一瞬で『消えていた』。
「は……?」
 間の抜けた声が上がり、目の前で起きた事実を認識しようと襲撃犯たちの思考が回転する。
 だがほかに言い表しようがないのだ。『仲間が目の前で、音もなくただ消えた』。それはまるで、ホラー小説の一節のような現象だった。
「なにを驚いてる。魔眼なんて珍しくもないだろうに」
 あざけるように言って、あとはその繰り返しだった。
 鉛玉が当たるたび、音もなく『消されていく』襲撃犯たち。男たちの半数ほどがすぐにパニックに陥った。そうして冷静さを欠いたものは、真澄が狙撃し黙らせていった。
「大したものだな、ファヴニールセル。たった二人でこの強さか。しかも一人はまだ新人と聞いているが」
 のそり、と。数人の襲撃犯が消されたのち、その影は現れた。
「消えろ」
 嫌な予感がした。良太はすぐさま魔眼を向け、鉛玉を放つ。もとより、FHの抗争に言葉を交わす情緒などない。だが、予想をなぞるようにその男は『消えなかった』。
「やはりな。『傷つけたものを削り取る呪いの魔眼』。だが、その魔眼自体に殺傷能力はない」
「!」
 虚をつかれ、思い切りそれが表情に出る。幸い、体の方はすぐに次の攻撃を繰り出した。だが。
「そして、起点となる『傷』を生成するこの鉛は、エフェクトではない」
 ばしっ、と乾いた音がして、続け様に放った鉛玉が掴まれる。開いて見せた掌は、傷一つついていなかった。
 驚異的な反射神経。頑丈な皮膚。キュマイラか。あるいはハヌマーンか。
(どっちにしろ厄介だ、こいつ)
 良太の魔眼のからくりは、今この男が言い当てた通りだ。ほんの小さな傷でも作りさえすれば、この魔眼はそこから人間を『削り取る』。良太のそれは規格外の力であるため、たやすく人間を丸飲み込みできてしまう。そうして消えたかのように錯覚させるだけだ。だから、起点となる傷を作れなければ、どれだけ睨んでも無意味だった。
「手品は終わりか、魔眼使い」
 一歩、男が踏み出し、良太が代わりに下がらされる。
 まずい。とてもまずい。思考が止まりそうになったそのとき、破裂音とともに男が仰け反った。
 狙撃。その方向からそれが真澄の援護だと気づいて、しかし良太の焦りはさらに加速した。
「逃げろ、諏訪! 位置がバレて……ッ!」
 あっ。という声が聞こえた気がした。しかし、良太の悲鳴を飲み込むように男の敵意が一気に吹き出し、のの巨躯が跳躍する方がより早かった。
 バカでかい、という表現以外思いつかない音がして、コンクリートが砕かれた。
 そんな簡単に、とは思うまい。それがオーヴァードという存在である。
「うあああっ!」
 呻き声が上がり、真澄が勢いよく地を転がったのが見えた。そして、それを見下ろす無傷の男。
「クソ、不死身か!」
 悪態をついて地を蹴る。真澄の銃はエフェクトを付与してあったはずなのに、それでも傷をつけられなかったのだ。ならば、自分がいくしかない。
 幸いというべきか、男はそれ以上真澄に執着しなかった。
「逃げる者は追わん。小細工はなしだ【竜眼】。俺はお前と戦いたい」
 不適に笑う襲撃犯に、ちっ、と舌打ちで返事をする。
「諏訪、立てるか」
 うずくまった少女が、緩慢な動作で顔を上げた。
「先に【宝物庫】に行っててくれ。そこさえ守れれば、俺たちの勝ちだからな」
 ほんの少し迷うような時間があり、しかし彼女は反論しなかった。すぐに立ち上がり、銃を抱えて走り出す。
 それを見届けて、ようやく一息がつき――――さあ、どうしたものか。と、良太は冷や汗をかいた。

***

 【宝物庫】はガラクタの山だと良太は言っていた。ファヴニールセルは確かに【遺産】収集セルであり、【宝物庫】にあるものも本物に違いないが、どれも自分には使えないものばかりなのだ、と。
 【遺産】というものは絶大な力を秘めているが、同時にひどく扱いづらい。レネゲイドウィルスに感染した物体は、多くの場合みずから使い手を選ぶのだ。まるで拒絶反応を示す薬や輸液のように、それらはひどく繊細で気まぐれだった。
「はぁっ、はぁっ」
 息を切らして走る。良太の言いつけ通り彼女はすぐに【宝物庫】へ辿り着いた。
 巨大な倉庫。運送会社の物流センターに偽装されたファヴニールセルは、人の気配より無機物の存在感の方が強い。真澄はそれをかき分けるように巨大な扉の前に立った。
「ここを守るっていったって……」
 言いつけを口に出して繰り返す。そしてようやく、良太の命令の真意を理解して、愕然とした。
 自分は庇われたのだ。あの襲撃者にはかなわないと断じられた。【宝物庫】を守ってほしいのは嘘ではないだろうが、きっと期待はされていない。
「なんで」
 無力感に打ちひしがれる。
 なぜ死にたがりの自分が庇われ、こんなところで立ち尽くしているのかと、自己嫌悪で膝が崩れそうだった。ならばせめて、盾にでも使ってくれればよかったのに。
「私は、どうすべきなんですか」
 独り言が溢れた。それはきっと、先ほど良太に言おうとした言葉の続きだ。
「私は死ねと言われた人間なのに。それが最善で、皆の幸福につながるって。私自身も納得してることなのに」
 まるで澄んだ水にインクを落とすように、良太だけが否と言った。勝手に死ぬなど許されないと怒りさえした。FHのセルリーダーである彼なら、新人である真澄を便利に使い捨てても誰も咎めなかったろうに。
 なぜ、それでいいと言ってくれないのか。
 そのとき、【宝物庫】から異音がした。
「!」 
 ギシ、という何かが軋む音。古びた鉄が擦れ合う耳障りなノイズ。それは、ゆっくりと倉庫の扉が開く音だった。
「なんで、勝手に……」
 扉が答えるはずもなく、真澄の目の前には巨大な【宝物庫】の内部が広がっているばかりだ。中は暗いが、その名の通り高価そうなものや貴重そうなものが綺麗に整頓されているのが見えた。
「し、閉めなきゃ」
 とにかく襲撃を受けている今、【宝物庫】が開いてしまっているのはまずい。そう考えて真澄は中へ飛び込んだ。外側に操作パネルやそれと思しきものはなかったので、あとは扉の中を調べるしかない。
「……!」
 足を踏み入れた瞬間、背筋が伸びた。まるで【宝物庫】のなかの財宝――――【遺産】たちに一斉に視線を向けられたような気がした。ふわりと風もないのに真澄の長い三つ編みが揺れる。
「これが、【遺産】」
 そうだ、と応える声があったような気がした。
 だが、畏怖はあっても恐怖は感じない。ここにあるものは真澄を嫌っていない。その確信がなぜか持てた。
「あ、扉!」
 また飲み込まれそうになってハッとする。早くここを閉じなければならない。詭弁であっても、良太の命令は【宝物庫】の死守なのだ。
 ――――本当にそれがお前の望みか?
 背を向けた途端、そう呼び止められた気がした。びくりと足が止まり、三つ編みを翻して真澄は振り返った。
 風が吹く。力の本流がうねりを作り、頬を撫でる。
 次に視界に映ったのは、一斉に起動した【遺産】たちだった。

 ***

 痛みと記憶だけが、かろうじて意識をつなぎとめていた。
『甘ちゃんだなあ。お前にはFHは向いてないよ』
 そう言って苦笑しながら頭を撫でてくれた仲間がいた。彼は剣の形をした【遺産】を残して逝った。
『アンタがいてくれるから、帰ってこなきゃと思えるんだよ』
 そう言って抱きしめてくれた仲間がいた。彼女は首飾りの形をした【遺産】を残して逝った。
 残ったのは遺品ばかりだ。良太の背後に積み上げられていたのは、いつだって宝ではなく墓標だった。
 痛みがまた痛みに重ねられる。襲撃者の巨躯は見た目以上の腕力で容赦なく良太の体を苛んだ。
 リザレクト。リザレクト。リザレクト。
 体が砕け散るたび、レネゲイドウィルスがすぐさま再生する。まるで積み木を積んでは壊して遊ぶ子供のように。
『諏訪真澄です。よろしくお願いします』
 波のように押し寄せては引く痛みに耐えながら、最後に思い出したのは真澄の記憶だった。
 真面目そうで、不器用そうで、不安そうな三つ編みの少女。FHなどという、ならず者の集まりにはどう見ても不似合いな子供。
『諏訪議員の娘だよ。オーヴァードに覚醒したからって放っぽりだされたらしい。政治屋は怖いねえ。イメージとやらのためなら実の娘も捨てられるわけだ』
 彼女を紹介してきたFHのエージェントは、からかうような、皮肉るような口調でそう囁いた。
『なぜFHに?』
『そりゃ、こっちのほうが【死にやすい】からだろうよ』
 けらけらと、おかしそうにエージェントは笑っていた。眉間のしわを深くする良太の前で、真澄はただ刑の執行を待つ囚人のように俯くだけだった。
 その手を取ったのは同情からだったのだろうか。そうだと断じるには良太はあまりに多くの仲間を亡くし、臆病になりすぎていたはずだ。
「終わりだな、【竜眼】」
 気がつけば、体の再生がひどく遅く、鈍くなり始めていた。過剰に活性化したレネゲイドウィルスの浸食速度が宿主の再生速度を上回るところまで来たのだ。
「ああ……そうだな」
 どうするか、と、良太はひとごとのように考えた。オーヴァードにも死はある筈なのに、死の恐怖はなぜか遠くにあった。
(ああ、俺も、死にたがりだったのかもしれないな)
 答えにたどり着いて、自然と笑みが溢れた。
 FHに向いてないのも。信じていたものに置いていかれたのも。
 同じだ。真澄と良太は、細部は違えど同じ形をした空虚を抱える同類だった。ただ歳を重ねた分、良太のほうが自分への言い訳と嘘が上手かっただけだ。
 だが、彼はゆっくりと立ち上がる。
「――――だからって、アイツと一緒に心中したいわけじゃない」
 再生限界を迎えた体が、決して少なくない血を流しながら動き出す。
「アイツ? ああ、さっきの狙撃手の女か?」
 不思議そうに、襲撃者の男が首を傾げたが、そんなことはどうでもよかった。
 ぐしゃ、と。酷く耳障りな音が、自分の体から聞こえた。がくんと体が傾ぎ、やっと立ち上がった膝を再び地につく。
 見れば、鉤爪のように変化した男の爪が腹を貫いていた。意識が朦朧としていたおかげか思ったより痛みはないが、体の方はもう限界だった。
「後を追わせたいならそうしてやるぞ?」
 ククッと、男は勝ち誇るように言う。良太はそれをやはりぼんやりとした表情で見上げ、その爪をがしりとつかんだ。
「……俺の鉛では、たしかにお前を傷つけられんようだ。だが……」
「?」
 ゆっくりと男を見上げる。左目だけが異様な光を持つ良太の魔眼が。【竜眼】の名の元となった呪いの【遺産】が、真っ直ぐに男の目を見据えていた。
「それなら、俺の体の『傷』を起点にすればいいだけだ」
 正確には、その瞳に写る自分自身を。
「【竜眼】、貴様、自分自身を……ッ!」
 慌てて爪を引き抜き距離を取ろうとした男を必死で引き止める。幸い普段から鍛えていた筋肉と活性化したレネゲイドのおかげで、体を貫いた獲物はびくともしていなかった。
 今しかない。今やらなければ、この男は次に真澄を狙うかもしれない。自分と彼女は同類(しにたがり)だと言う答えを得てなお、良太はそれをよしとできなかった。
「ここはFHだ。死に方を選ぶ自由すら【欲望】と力が強い奴に奪われるんだよ」
 真澄、と心の中で呟いて、良太は魔眼を起動しようと意識を集中させ、

「そうですね。忘れていました」

 銃声にその集中は切られた。思わず能力の発動を中止してそちに目をやると、そこには長い三つ編みを揺らした少女が立っていた。
「真澄、その銃は……」
 彼女は淡白な表情で、ピストルの銃口を空に向けていた。先程まで装備していたスナイパーライフルではない。その古めかしい意匠の施された銃に、良太は見覚えがあった。
「馬鹿が。逃げていればいいものを」
 だが男はそれをただの古い銃だと断じたのだろう。力の抜けた良太を引き剥がし、真澄に飛びかかる。
「威嚇射撃などしている暇が――――」
 そして、良太が再び地面に転がるのとほぼ同時に、男の爪が真澄の端正な顔に迫り、
「威嚇射撃じゃありませんよ」
 にやりと、彼女は不敵に口の端を持ち上げて笑った。
「あ……?」
 そして、男の爪が突如として崩れた。切れ味を失った武器は、真澄の前髪何本かを持って行っただけで、土塊のようにぼろぼろと形を失う。
 みれば、男の眉間には銃痕がくっきりと浮かび上がっていた。まるで背後から脳天を撃ち抜かれたような、明らかな致命傷。
「な、ん」
「終わりです。浅野さんとの戦いでずいぶんあなたの浸食率も上がっていたはずでしょうから、急所に一撃で死ねるはずですよ」
 肉体の再生は不可能だった。そして、ジャームと化した者がレネゲイドの恩恵をなくして【戻ってくる】当てはない。
 最後に男は、わなわなと震える手で真澄の持つピストルを指さした。
「この銃ですか? 必ず弾が命中する【遺産】みたいです」
 それが種明かしを望む仕草だと察した真澄は、さらりと答え、薄く微笑んだ。
「私、浅野さんとお話ししたいことがあるんです。だから、その【欲望】を邪魔しないでください」
 どう、と、男の巨体が倒れ込む。硝煙の香りがふわりと立ち込め、それに合わせて少女の長い髪がゆらゆらと揺れる。
「ま、すみ……――――」
 そのあどけない瞳と目があった瞬間、良太の意識は闇に落ちた。

 ***

「【遺産】が起動した? 全部か?」
 ベッドのうえで、良太は目を剥きそう叫んだ。途端に腹の傷が疼き、たまらず呻き声に変わる。
「大声あげないでください。浅野さん重症だったんですから」
 目の前の少女もキズだらけではあったが、そのほとんどが擦過傷や小さな打ち身で済んだようだった。
「【宝物庫】に入ったら、なにかに話しかけられたような気がして……そのあと、なぜか手に取った【遺産】の使い方が判るようになりました。すごいですね」
 だから、今すぐ使えそうなものを持ち出して戻ったのだと真澄は続ける。良太は深いため息をついた。
「遺産適格者……それも【宝物庫】全部の? 俺はひとつしか適合しなかったっていうのに。畜生、まったくとんでもないものを拾ってしまった」
「人を犬猫みたいに言わないでください」
 むっとした顔をして真澄がすかさず突っ込みを入れる。そのやり取りで、張り詰めた空気はすっかり和らいだ。
 さあっと、部屋の中へ温かい風が吹き込む。
「私、考えたんです。あの【宝物庫】のなかで」
 長い三つ編みが揺れる。良太のベッドの脇にある小さな窓から風は絶え間なく流れ込んでくる。
「私のような弱者は、死に方も選べないと浅野さんは言いました。それは確かにそうなんだと思います」
 さらりとおちる後毛を直すその姿は、たぶんFHにいるよりも、どこかの学校の教室にでもあったほうがよっぽど似つかわしい。良太は今でもそう思っている。だが真澄はきっと、そこをもう自分の居場所には選ばない。
「でも私は死なないといけないから。大切な人たちの望みだし、私自身がそれに納得しています」
 悲しい決意だった。だが、それは言葉の上でだけのものになっている気がした。そう思えるくらいに、少女の顔は晴れやかだ。
「だから私は強くなります。選べないなら選べるようになります。いつか私が選んだ死に方で間違いなく死ねるように」
 そう言うと、真澄は真っ直ぐ良太の目を見た。サングラス越しに見ても、はっきり意志を感じられる視線だった。
「厄介なほうに開き直ったな、おまえ」
 良太には曖昧な表情で中途半端な感想を言う以外できない。真澄はそんな気も知らずにくすくすと笑ってみせた。
「とりあえず、どんな死に方がいいか考えつくまでは生きますから、浅野さんの苦労も無駄じゃありませんよ」
 それは、良太が見た真澄の初めての笑顔だった。
 まだ日常の色が濃い、屈託のない笑顔。良太と真澄以外にオーヴァードのいないファヴニールセルでは、長らく人の笑顔などみていなかった。
「そうか」
 それで、心の中にわだかまっていたなにかがするりと解けたような気持ちになる。
 身体に刻まれた傷はまだ痛み、心に刻まれた絶望は永遠に癒えない。だが、きっと自分たちはこうして歪ながらも進んでいくのだろうという予感がした。その過程で真澄が望み通り死を選ぶのか、あるいは生きる道を選ぶのかは、きっと些細なことだ。
「まあ、俺たちにとって【欲望】を叶えるために命を投げ出すなんて当たり前のことだからな」
 ええ、と応えがあり、二人は示し合わせたように窓の外を見た。長い長い非日常が終わり、束の間の日常がすぐそばでまどろんでいる気がした。

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